1月13日:皇帝ユスティニアヌスに対する叛乱「ニカの乱」発生

532年1月13日 - コンスタンティノープルでニカの乱が起こる。
ニカの乱

皇帝ユスティニアヌスの始めた征服事業やサーサーン朝ペルシアとの東方における長期の戦役、
大規模な建築事業は、市民だけでなく貴族にも重税を強いることとなり、当時それに対する怒りは広く鬱積していた。

また、当時の戦車レースは、古代ローマの帝政期から行われていた「パンとサーカス」の継承策で、
皇帝にとっては、人気取りと市民の不満をそらすことに有効な手段であった。

この日、皇帝の宮殿(図中のGREAT PALACE)に隣接した競技場(図中のHIPPODOME)での戦車レースにおいて、
レース開始後から群集は終始ユスティニアヌスに罵詈雑言を浴びせかけ、不穏な状況にあった。
ついにこの日の最終22レース目になると、罵声や応援の連呼が一つの「ニカ」(勝利または征服)という連呼に変わり、
群集は暴徒と化して宮殿を襲撃し始めた。
戦車競技場と宮殿の位置

暴動の発生から続く5日間、皇帝の宮殿は事実上封鎖状態にあり、
ユスティニアヌスは退位し帝都から脱出することを考えたが、妻のテオドラから踏みとどまるように説得され、
断固反乱鎮圧に舵を切り、3万人以上を殺害して反乱を鎮圧した。

一週間に渡る反乱によって首都の半分近くが焼失もしくは破壊された。
アヤ・ソフィア大聖堂(ハギア・ソフィア大聖堂)も破壊されたが、ユスティニアヌスによって後に再建された。












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