1月15日:東大寺、興福寺、焼き払わられる(南都焼討)

1181年1月15日治承4年12月28日) - 南都焼討。平重衡らが東大寺・興福寺を焼き払う。
南都焼討

平清盛の命を受けた平重衡ら平氏軍が、東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼討にした事件で、
平氏政権に反抗的な態度を取り続けるこれらの寺社勢力に属する大衆(だいしゅ)と呼ばれる僧兵の討伐を行う際に、
奈良の主要部を巻き込む大火災が発生した。

興福寺・東大寺などの有力な寺院が焼け落ち、多数の僧侶や避難していた住民など、数千人が焼死した。

特に東大寺は金堂(大仏殿)など主要建築物の殆どを失い、
中心から離れた法華堂と二月堂・転害門・正倉院以外は全て灰燼に帰するなど大打撃を蒙った。

興福寺でも三基の塔の他、金堂・講堂・北円堂・南円堂など38の施設を焼いたと言われている。

焼け落ちた大仏殿は文治元年(1185年)には再建されたが、
この再建された大仏殿も戦国時代の永禄10年10月10日(1567年11月10日)、三好・松永の戦いの兵火により、
大仏殿を含む東大寺の主要堂塔はまたも焼失した。

現在見ることのできる大仏殿は、宝永6年(1709年)に再建された三代目のものである。












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