1月27日:「救国の英雄」岳飛、謀殺される

1142年1月27日紹興11年12月29日) - 南宋の武将岳飛が宰相秦檜により謀殺される。
岳飛

岳 飛(がく ひ、Yue Fei 1103年3月24日 - 1142年1月27日)は、中国南宋の武将で、
南宋を攻撃する金に対して幾度となく勝利を収めた。

1140年に北伐の軍を起こすと、朱仙鎮で会戦を行い、金の総帥斡啜の率いた軍を破って開封の間近にまで迫るが、
秦檜の献策により友軍への撤退命令が出され、孤立した岳飛軍も撤退を余儀なくされた。
南宋と金

その後、秦檜により金との和議が進められる。
それに対して、主戦派の筆頭であり民衆の絶大な人気を持った岳飛は危険な存在であり、
1141年に秦檜は岳飛の子岳雲、岳家軍の最高幹部である張憲に対し、冤罪を被せて謀殺した。
この時、岳飛は39歳、岳雲は23歳だった。
その背には母親によって彫られたとされる黥(入れ墨)の「尽忠報国」の4文字があったという。

後に冤罪が晴れる、岳飛は後代、救国の英雄として称えられた。
現代でも中国の歴史上の英雄と言えばまず岳飛の名前が挙がるほどである。













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