2月20日:ニミッ元帥 逝く

1966年2月20日 - チェスター・ウィリアム・ニミッツ(Chester William Nimitz、1885年2月24日 - 1966年2月20日)没。享年80歳。
チェスター・ニミッツ

アメリカ海軍軍人、最終階級は元帥。テキサス州出身。
第二次世界大戦中のアメリカ太平洋艦隊司令長官および
連合国軍の中部太平洋方面の陸海空3軍の最高司令官として日本軍と戦った。

少尉候補生時代、日本に寄港した際、日本海海戦で大勝をおさめたばかりの東郷平八郎と会話する機会があり、
ニミッツは大変な感銘を受けた。

1941年12月8日、真珠湾攻撃後に太平洋艦隊司令長官に就任した。
「真珠湾の悪夢は誰の身にも起こり得た事だ」として必要以上の処罰拡大を避け、
幕僚陣は前司令官の幕僚をほぼ丸々引き継いだ。
この処置は真珠湾攻撃で意気消沈した将兵を奮い立たせるのに役立った。

1944年12月に3人目の海軍元帥に昇進。
日本本土に攻撃の手が伸びたとき、皇居への攻撃は絶対に行ってはならないと全軍に徹底させ、
日本降伏後の占領に支障が無いよう配慮している。

8月15日、日本の降伏受諾の夜、指揮下の全部隊に、
「(日本人に)馴れ馴れしくする事、虐待する事、毒舌を吐く事を禁じる」通達を出した。

第二次世界大戦後、「三笠」が荒れ果ててダンスホールに使われている事を知るとこれに激怒し、
海兵隊を歩哨に立たせて荒廃が進む事を阻止した。
1958年(昭和33年)の『文藝春秋』昭和33年2月号において「三笠と私」という題の一文を寄せ、
「この一文が原稿料に価するならば、その全額を東郷元帥記念保存基金に私の名で寄付させてほしい…」と訴えた。
この一文は日本人の「三笠」保存の機運上昇に繋がったのみならず、
アメリカの将官といえばマッカーサーしか印象に無い戦後世代の日本人にニミッツという軍人がいた事を知らしめた。
保存費用として個人的に当時の金額で二万円を寄付した他、
アメリカ海軍を動かして揚陸艦の廃艦一隻を日本に寄付させ、そのスクラップの廃材代約三千万円を充てさせた。
「三笠」の復興総工費が約一億八千万円であるからこの運動は大きな助けとなった。
三笠公園


アメリカ合衆国とアメリカ軍がニミッツに対する評価を端的に示しているのが、
彼の名がニミッツ級航空母艦のクラスネームと、その1番艦に使われた事であろう。
航空母艦は第二次世界大戦以降戦艦に替わる海軍の象徴であると同時に外交力の象徴であり、
その名前に人名がつくのは基本的に大統領(二隻は連邦議員、他何隻か例外もある)だけであるが、
アメリカ海軍史上最も光輝ある名を持つ「エンタープライズ」さえ凌ぐ巨大空母に「ニミッツ」と名付けて生前の功績に報いた。
空母ニミッツ












関連記事
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント