1月12日:『海の武士道』工藤俊作艦長 逝く

1979年昭和54年1月12日 - 工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年明治34年1月7日1979年昭和54年1月12日)没。享年78歳。
工藤俊作

日本海軍軍人、最終階級は海軍中佐。
1942年3月、駆逐艦「雷」艦長時、
スラバヤ沖海戦(1942年2月27-3月1日)で撃沈されたイギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた人物として有名である。

この時の状況は、
敵潜水艦による攻撃を受けうる危険水域であることを承知のうえで、で救助作業に入り、救助したイギリス兵を温かくもてなした。
日本側は貴重な真水や乾パンを彼らに配給したが、イギリス兵たちは必要なだけ取ると日本側へ返却したという。
また工藤艦長は、英語で「諸君は果敢に戦われた。今、諸君は大日本帝国海軍の大切な賓客である。私はイギリス海軍を尊敬するが、日本に戦いを挑む貴国政府は実におろかである」と挨拶している。

なお、駆逐艦「雷」は工藤艦長が艦長を交代したのちの1944年4月13日、サイパン島に向かう途中でアメリカ海軍潜水艦の雷撃を受け、全乗組員238名とともにグアム沖に沈没した。



戦後は海兵のクラス会には出席せず、また上記の救助活動なども含め軍務に関しては家族にも一切語らず、毎朝、戦死した同期や部下達の冥福を仏前で祈ることを日課にしていたという。













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