2月28日:満州国皇帝溥儀の弟  愛新覚羅溥傑 逝く

1994年2月28日 - 愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ、1907年4月16日 - 1994年2月28日)没。享年86歳。
愛新覚羅溥傑

清朝における地位は醇親王継嗣、満州国皇帝溥儀の弟。
満州国軍人としての階級は陸軍中校(中佐に相当)。

中華人民共和国では全人代常務委員会委員。立命館大学名誉法学博士。
書家でもあり、流水の如き独特の書体は流麗で人気が高かった。

夫人のの実家は嵯峨侯爵家(旧正親町三条家)。
明らかな政略結婚だったが、ふたりの仲は円満で、長女・慧生、次女・嫮生の二女に恵まれた。

心優しい性格であった事も知られており、非常な家族想いで、妻や娘はもちろん、兄弟愛も強かった。

日本の敗戦後は戦犯として収容所の収容されたが、1960年に模範囚として釈放され、北京に帰る。
翌1961年、妻の浩との再会を果たし、文化大革命を乗り越え、全国人民代表大会常務委員会委員を務めるなど、
社会への復帰を果たした。
また、1972年の日中国交正常化の後、7度の訪日で日中友好の架け橋として活躍した。

1987年6月には、長年連れ添った夫人が北京の病院で死去したが、その後も日中友好の懸け橋として両国間で活躍した。

遺骨は溥傑の生前からの希望によって浩・慧生の遺骨と共に日中双方によって分骨され、
日本側の遺骨は山口県下関市の中山神社(浩の曾祖父である中山忠光が祀られている)境内にある摂社愛新覚羅社に、
浩・慧生の遺骨とともに納められ、中国側の遺骨は三人共に中国妙峰山上空より散骨された。











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