3月12日:元日本兵 小野田寛郎、30年ぶりに帰国

1974年3月12日 - 小野田寛郎がフィリピン・ルバング島から30年ぶりに日本に帰還。
小野田さん帰国

1944年(昭和19年)12月31日、ルバング島に着任。
その際、陸軍中野学校出身の小野田少尉は上官から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」の訓示を受け、部下と共に遊撃戦を展開した。
ルバング島は、フィリピンの首都マニラの位置するマニラ湾の出入口にあり、この付近からマニラを母港とする連合国軍艦船、航空機の状況が一目で分かるため、戦略的に極めて重要な島であった。

昭和20年8月を過ぎても任務解除の命令が届かなかったため、引き続き持久戦により在フィリピン・アメリカ軍に挑み続け、島内にあったアメリカ軍レーダーサイトへの襲撃や狙撃、撹乱攻撃を繰り返し、合計百数十回もの戦闘を展開した。

約30年間継続した戦闘行為によって、フィリピン警察軍、民間人、在比アメリカ軍の兵士を30人以上殺傷したとされる。
ただし、アメリカ軍司令官や兵士の殺傷に関して、アメリカ側にはそのような出来事は記録されておらず、実際に殺傷したのは武器を持たない現地住民が大半であった。










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