3月25日:平将門、討死

940年3月25日天慶3年2月14日) - 承平天慶の乱: 平将門と追討の平貞盛・藤原秀郷の軍勢が激突し、将門が討ち死にする。
平将門
平将門、享年37歳。

将門は平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。桓武天皇5世。
下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。

しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。
死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。

武士の発生を示すとの評価もある。

合戦においては所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使し、反りを持った最初の日本刀を作らせたとも言われる。









◆スマイルゼミ◆中学生向け通信教育
関連記事
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント