3月27日:第二次旅順港閉塞作戦。広瀬武夫中佐が戦死。

1904年3月27日 - 日露戦争: 第二次旅順港閉塞作戦。広瀬武夫中佐が戦死。
第二次旅順港閉塞作戦

1904年2月24日未明の第一次旅順港閉塞作戦に引き続き実施、このあと5月2日夜にも三次旅順港閉塞作戦が実施されたが、いづれも失敗。

ロシア旅順艦隊(太平洋艦隊)の動きを封じることに失敗した結果、海軍は陸軍に対して旅順(旅順要塞)の攻略を要請、
乃木希典大将を司令官とする第三軍を編成して旅順攻囲戦を行う。

なお、この第二次閉塞作戦の際、閉塞船福井丸を指揮していた広瀬武夫中佐は、
撤退時に自爆用の爆薬に点火するため船倉に行った部下の杉野孫七上等兵曹がそのまま戻ってこないことに気付いた。
広瀬は杉野を助けるため一人沈み行く福井丸に戻り、船内を3度も捜索したが、彼の姿は見つからなかった。
やむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした直後、頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死した。36歳だった。
5日後、遺体は福井丸の船首付近に浮かんでいるのを発見され、ロシア軍により埋葬された。







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