4月15日:修道士プラノ・カルピニ、モンゴルに向けて出発

1245年4月15日 - モンゴル帝国に対するローマ教皇の使者として、修道士プラノ・カルピニがモンゴルへ出発。
プラノ・カルピニの行程

1241年、ワールシュタットの戦いを契機として東欧・西欧にモンゴル帝国の脅威が忍び寄ってくると、
1245年の第1リヨン公会議で決定されたモンゴルとの交渉役としてカルピニはローマ教皇インノケンティウス4世の命令を受けて、東欧に勢力を拡大していたモンゴル帝国のバトゥの元に派遣される。
面会したバトゥはカルピニにグユク汗の元へゆくよう命じた。
道中、バトゥの侵略によって徹底的に破壊されたキエフなどの状況を見ながら、
1246年8月にカラコルムに到着。

到着直後の1246年8月24日、モンゴル帝国のハーンとなるグユクの即位式のクリルタイに列席した。
この時に、カルピニ一行はグユクに会見してローマ教皇の親書を手渡して和睦交渉を行なったが、
グユクは和睦ではなく教皇をはじめとする西欧諸国の臣従を望んだため、果たすことはできなかった。

カルピニが記した『モンゴル人の歴史』は、当時のモンゴル帝国の風習や国民性をはじめ、
軍事、政治制度など詳細なモンゴルの事情を知ることができる歴史書であり、歴史的資料として評価は高い。









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