4月18日:日本本土初空襲(ドーリットル空襲)

1942年4月18日 - 空母ホーネットを発進したジミー・ドーリットル中佐に率いられたB-25爆撃機16機が東京・名古屋・四日市・神戸に初来襲。
空母ホーネットを発信するB-25

全16機中15機が爆撃に成功した。
ドーリットル爆撃隊の侵攻ルート

1番機であるドーリットル機は茨城県から東京上空に侵入し、12:15に空襲を行った。
東京第一陸軍造兵廠を目標としていたが、全く無関係の場所を爆撃してしまい、民間人に死傷者を出す。
6番機は中国大陸沿岸の日本軍の占領区域に不時着し、爆撃手、航空機関士が死亡し、機長、副機長、航空士が捕虜となった。
8番機は鹿島灘から侵入したが、燃料消費がはやく、北上して栃木県西那須野駅、新潟県阿賀野川橋梁付近を爆撃しつつ、日本海へ抜けてウラジオストクに向かった。日本海を越えてソ連本土に不時着したが、すぐにソ連警察によって拘留された。
15番機が神戸を爆撃した。
16番機は名古屋から和歌山に向かい、後に中国奥地で全員が捕虜となった。
この16番機は日本領土内の各地で民間人に対する機銃掃射を行い、これが後の死刑判決に繋がった。

ドーリットル爆撃隊侵攻離脱ルート

この爆撃の結果、日本側には死者87名、重軽傷者466名、家屋262戸の被害が出た。
このうち9名は日本軍高射砲の破片によると認められている。

ドーリットル空襲を受けて、軍令部と日本陸軍がミッドウェー作戦に俄然本気となった。









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