4月21日:赤穂事件、松之大廊下の刃傷

1701年4月21日元禄14年3月14日) - 赤穂藩主・浅野長矩が江戸城松之大廊下で吉良義央に刃傷、長矩は即日切腹・赤穂藩は断絶の処分が下る。
松之大廊下の刃傷

当時の武士社会の慣習からいえば、「喧嘩」が起こった際には「喧嘩両成敗」の法が適応されるので、
浅野と吉良は「双方切腹」となるはずであるが、一方の当事者である吉良には何らお咎めなしでありながら、
もう一人の当事者である浅野内匠頭には切腹が命じられる事になった。
しかも後日、浅野内匠頭の領地である播州赤穂浅野家には御取り潰しが命じられている。
こうした裁定が、後に起こる赤穂浪士達による吉良邸討ち入り事件の素地となった。










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