5月8日:日米開戦回避に奔走した野村吉三郎 逝く

1964年昭和39年5月8日 - 野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年明治10年12月16日 - 1964年昭和39年5月8日)没。享年86歳。
野村吉三郎

昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。和歌山県和歌山市出身。
駐在武官、自軍縮会議全権団随員など海外経験が豊富で、
後にアメリカ大統領となるフランクリン・ルーズベルト海軍次官をはじめ海外の政治家とも親交があった。

1932年(昭和7年)の第一次上海事変では、第三艦隊司令長官として、揚子江上の軍艦による艦砲射撃などで
陸軍の上海派遣軍を側面支援した。
上海事変が終結した4月29日、同地で催された天長節祝賀会の最中に上海天長節爆弾事件が起き、
この事件で野村は右眼を失明した。

国際法の権威として知られ、阿部内閣で外務大臣をつとめたのち、
第二次近衛内閣のとき駐米大使に任じられ、真珠湾攻撃の日まで日米交渉に奔走して戦争回避を模索した。
野村とハル

戦後は公職追放を受けるが、
1953年(昭和28年)3月24日、同郷の松下幸之助に請われ、松下電器産業の資本傘下となった日本ビクターの社長に就任し、
同社再建の道筋をつけた。

公職追放解除後は、吉田茂の要請で再軍備問題の調査にあたり、海上自衛隊の前身、海上警備隊創設に深く関わった。










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