7月8日:日本人二人目のノーベル賞学者 朝永振一郎 博士 逝く

1979年昭和54年7月8日 - 朝永 振一郎(ともなが しんいちろう、1906年明治39年3月31日 - 1979年昭和54年7月8日)没。享年73歳。
日本物理学者。東京生まれで京都育ち。
朝永振一郎


京都一中(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第三高等学校、京都帝国大学理学部物理学科を卒業。
学生時代は女浄瑠璃や寄席に入り浸って、かなりの趣味人だったと伝えられる。

湯川秀樹(旧姓:小川)とは中学校、高等学校、帝国大学とも同期入学・同期卒業であり、就職もやはり湯川秀樹と同期で、机も同じ部屋にあった(中学までは1学年上であったが、後に湯川が飛び級のため追いついた)。

湯川秀樹が、因果律のタブーを犯してまで非局所場に踏み込んでいくなど新しいことに挑戦することを恐れなかったのに対し、「反動ならざる保守」を自認する朝永は、超多時間理論、繰り込みなどを完成させ、近距離で量子電磁力学が破綻するという危機を救った。

相対論的に共変でなかった場の量子論を超多時間論で共変な形にして場の演算子を形成し、場の量子論を一新した。
超多時間論を基にくりこみ理論の手法を発明、量子電磁力学の発展に寄与した功績によってノーベル物理学賞を受賞した。












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