7月17日:明の最大版図を築いた永楽帝即位

1402年7月17日(建文4年6月17日) - 靖難の変で勝利した燕王朱棣(永楽帝)が明の第3代皇帝に即位。
朱元璋(後の明初代皇帝 太祖 洪武帝)の四男として生まれ、頭脳明晰であるだけでなく、戦場での能力と勇敢さも群を抜いていた。
第2代皇帝 建文帝(永楽帝から見ると甥)の側近によって、自身の兵力削減、取り潰しが画策されていることを察知し、
「君側の奸を討ち、国難を靖んずる」として靖難の変を起こし、実権を握った。
永楽帝期の明の版図

皇帝即位後は世界帝国を目指した永楽帝は積極的な外征を行い、対外進出を中心にした政策を実施した。
永楽帝の治世の最たる象徴は積極的な対外政策にあった。
永楽帝は世界が明の権威を認めることを欲し、宦官鄭和に命じ大船団を南海に派遣した。
大航海は7度行われ、アフリカ大陸東岸にまでに達した。

また当時対立していた日本とも和解し、永楽2年(1404年)に足利義満は永楽帝の即位に祝賀の使節を送り、貿易を求めた(義満自身は建文帝の代から修交を行っている)。
永楽帝はそれに対し、当時猛威を振るっていた倭寇の取締りを求めると同時に、「日本国王」に冊封して朝貢貿易も許した。義満はこれに応え倭寇を厳しく取り締まり、対明貿易で巨額の利益を得た。
永楽帝は義満を評価しており、その死の翌年に弔問使を日本につかわし「恭献」の諡を送っている。
日本人で外国から謚号を贈られたのは義満が最初で最後である。












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