2月28日:富士山での年中観測を目指した気象学者 野中到 逝く

1955年昭和30年2月28日 - 野中 到(のなか いたる、1867年9月19日慶応3年8月22日) - 1955年昭和30年2月28日)没。享年87歳。
日本気象学者。妻・千代子と共に富士山頂で最初の越冬観測を試みたことで知られる。
野中 到
1895年2月16日に富士山冬季初登頂を果たし、富士山頂での越冬が可能であることを確信、同年夏に再び登頂して私財を投じて測候用の小屋(約6坪)を剣ヶ峰 (富士山)に新設した。
剣ヶ峰にした理由を「風が弱いところは積雪が多いため、積雪の少ない風の強いところを選んだ」と語っている。
9月末に食料など備蓄財の調達のため一旦下山し、閉山後の10月に再び登頂。
妻・千代子も10月半ばに合流。
野中千代子

高山病と栄養失調で歩行不能になる。
12月に慰問に訪れた弟の野中清らによって夫妻の体調不良がわかり、中央気象台の和田雄治技師らの救援で月末に両者とも下山し、山麓の滝河原に逗留、村人の手厚い保護を受けた。
野中夫妻のこの決死の冒険は評判をよび、小説や劇になった。
越冬断念により十分な結果が得られなかったことから、1899年(明治32年)本格的な観測所の建設を目指し、富士観象会を設立、富士山気象観測への理解と資金援助を呼びかけた。
その後も絶えず登山し観測を続け、野中の事業はのちに中央気象台に引き継がれた。











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