9月23日:日本軍、北部仏印に進駐

1940年9月23日 - 第二次世界大戦: 日本軍が松岡・アンリー協定に基づき北部仏印に進駐。

北部仏印進駐

1937年の日中戦争(支那事変)勃発以降、中華民国の蒋介石政権に対して行われていたイギリスやアメリカ合衆国などによる軍事援助は、いわゆる援蒋ルートを通じて行われていた。
特にフランス領インドシナを経由するルート(仏印ルート)は4つの援蒋ルートの中で最大のものであり、
日本フランス政府側に対して繰り返しルートの閉鎖を申し入れていたが、受け入れられることはなかった。

ナチス・ドイツのフランス侵攻によりフランスは敗北し、1940年6月17日には独仏休戦協定が締結された。
これをうけて6月19日、日本側はフランス領インドシナ政府に対し、仏印ルートの閉鎖について24時間以内に回答するよう要求。
フランス領インドシナ政府は本国政府に請訓せずに独断で仏印ルートの閉鎖を行った。

8月末には日本松岡洋右外務大臣とアルセーヌ=アンリー大使との間で日本とフランスの協力についての交渉が妥結し、松岡・アンリー協定が締結された。
この中では極東における日本とフランスの利益を相互に尊重すること、フランス領インドシナへの日本軍の進駐を認め、さらにこれにフランス側が可能な限りの援助を行うこと、日本と仏印との経済関係強化が合意された。

当時のフランスにとって、日本の軍事力は圧倒的であり、
日本軍に抵抗することはフランス領インドシナ全体を失陥する危険性があったため、
フランス側は進駐を受け入れた。

この進駐の結果、
日本軍の南進を警戒するイギリス、アメリカとの対立が深まった。











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