9月28日:アラブの盟主 ナセル大統領 逝く

1970年9月28日 - ガマール・アブドゥル=ナーセル( Gamal Abdel Nasser, 1918年1月15日 - 1970年9月28日)没。享年52歳。
エジプト軍人政治家。第2代エジプト共和国大統領。
汎アラブ主義を主張し、1958年、エジプトとシリアから成るアラブ連合共和国を建国してその初代大統領に就任した。
日本ではナセルという表記が一般的であるが、ナセル(ナーセル)は父の名アブドゥルナーセルの後ろ半分で、姓ではない。
ナセル大統領

反英愛国の将校の組織である自由将校団を結成し、実質的指導者となる。
自由将校団の勢力拡大を図るナーセルは、第一次中東戦争で活躍した将軍ムハンマド・ナギーブを自由将校団の首班として迎え、軍部での支持拡大を進めていった。
1952年7月23日、自由将校団はクーデターを起こして国王ファールーク1世を追放し、権力を掌握した。
そして、翌年には王政を廃止し、共和政に移行した(エジプト革命)。

ナーセルはアスワン・ハイ・ダムの建設を推進し、建設費用獲得のために
1956年7月26日、スエズ運河の国有化を宣言した。
これにはイギリスやフランスが反発し、スエズ戦争(第二次中東戦争)が勃発したが、
ナーセルは英仏軍を退け、国有化承認を勝ち取る。

スエズ戦争の勝利によって国際的威信を高めたナーセルは、アラブの大同団結を目指す。
1958年2月、エジプトとシリアを合邦してアラブ連合共和国を建国し、初代大統領に就任した。

だが、1967年、エジプトはイスラエルとの第三次中東戦争(六日戦争)で惨敗し、
国土の東部を占めるシナイ半島がイスラエルに占領される事態となり、
ナーセルは責任を取って辞任を宣言するまでに追い込まれた。

しかし、国民が辞任を受け入れず、大統領の地位に留まることを求めたためにナーセルは失脚を免れた。

その後もイスラエルに対して強硬策を続け、
「承認しない」・「交渉しない」・「和平しない」・「パレスチナ人の権利回復」の原則を求めつづけたが、
多忙を極める最中、ナーセルは心臓発作により、52歳の若さで急死した。











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